お題サイト「確かに恋だった」様からお題をお借りしました――「恋したスパイに10題」
白い指。何もはまっていない指。
その指を撫でるとJは不愉快そうに顔をしかめた。
「ジャック」
「僕はもうジャックじゃない」
しばらく前とは逆の問答。
最後まで俺のものにはならなかったジャック。
にせものだったジャック。
「指輪は、どうしたんだ」
「捨てましたよそんなもの」
あんな物なくたって僕には輝石があります、Jはそう言う。君には輝石もないくせに。そう言っているみたいで。(だったらお前は輝石があるから奴らと一緒にいるのか)
俺は指輪や名前や服の色だけを見ていたのではないのに。
白くたって白くなくたって。(おまえがすきだ)
「君はずっとそっちなんですね」
Jの細い指が俺の指の指輪を撫でる。するりと外す。
(やめてくれ、期待する)(俺がそっちに行ける訳じゃないのに)
「君はずっとそっちの、ままなんだ」
外した指輪を目の前に掲げて光に透かす。赤い石が小さく光る。
Jはその指輪を部屋の隅に投げた。かりん、と机の脚に当たり、金属質な音を立てて転がる。
「ねえ、そういえば婚約指輪の起源って知ってますか?」
「起源はヨーロッパの中世貴族。浮気しないという証に、お互いの心臓を縛りあった……とか、聞いたことが」
「エジプト辺りでは薬指は心臓に直結した指だと考えられていたそうで、だから薬指にはめるんですね」
くすりと笑って、Jはからっぽの左手を見せる。
何も持ってない左手。何もはまっていない左手。まっさらな。
「もう僕と君との繋がりは何もないんですよ、スマイル」
俺の右手にはまった指輪。Jのまっさらな右手。
今はまた白い服のJ。黒い服の俺。
もう何の繋がりも残っていない。
(君と一緒に戦ってもいいという意味だ)
あの時に言った言葉さえ全部嘘で夢で幻だったみたいに。
「そうやって結局お前はバシンを選ぶのか」
その瞳が一瞬だけ動揺したように揺れてまた静まる。
投げ込んだ石もすぐに飲み込んで静まる水面。
「……そうですよ」
きらきらと輝く白い輝石をその胸に抱いてJは笑う。笑った。
あいつの隣にいる時のお前は俺の隣にいた時の少し困ったような笑みではなく、とても鮮やかに笑う。
どうしようもなく得られないものが、目の前にある。
「…J、お前って嘘つきだな」
「僕は最初から嘘なんてついてませんよ」
そしてその両手を見せる。
「僕は一度も指輪を薬指になんてはめていません。元々君に心臓を縛られてなんていないんですよ?」
俺がはめていた指も薬指ではなく人差し指だった。
だけど確かに縛られていた。
指輪の痕が赤く残った人差し指をそっと撫でてJは笑う。
指輪がなくなって、これで元通り、なんてならないのに。
俺の指だけ縛ってもう解けないのに、どうしてくれるんだ。