※ジャックがちょっと病んでます(ちょっとどころじゃない)
いつの間にかその白い手に増えている傷を撫ぜて如何したのかを問うと、Jはふしぎそうに首を傾げた。
僕もよくわからないんですよ。
何だかいつものJと違って本当に心底から純粋に当たり前なふうなその眼はつまらない硝子玉のようで怖かった。小さな子供が蜻蛉の首を飛ばして、自分が何をしたのかも分からないでふしぎそうなようなそういう顔だった。
指先の傷の一つはあまりきれいではないもので切ったのか少し膿んでしまっていて、痛くなかったのかと聞くとJはちょっとだけほほ笑みながら、さぁ、多分痛かったのでしょうねとまるで他人事のように言った。まるで贋物の人形のようだった。
仕方がないので手当てのセットを出してもらってぶしゅ、と消毒液をかけて自分が分かるだけの手当てをした。
「痛いです、すごく」
無痛症の人が嘘をついてるみたいだ、と思った。痛くなければ生きていない、と言うような、そこだけとても真面目な瞳でJは「痛い」と言った。いたい。痛そうなのではなく苦しそうな声で。かそけく。ひずんだ傷に壊れ物のように包帯を巻いていく。指先が白い繭のようになる。さなぎ、か。
「ぁ」
きゅ、と結んで留めようとしたら、蝶結びがいいです、と言われた。こいつもしかしてばかなんじゃなかろうか。そんなんじゃすぐほどけるしやりづらい、と言ってもきかないので仕方なく従う、白い指先に蝶が止まる。繭と一体の飛び立てない蝶。
それを不思議そうな楽しそうなあるいは少し困惑のような表情でぱちくりと見つめ、Jは笑った。綺麗だけれど病んでいる、ああそうかそれは白いからなのかもしれない。こいつはまるで病院や白衣のように白いから。ほら、手術の時の服はちょうどこいつの目の色のような青緑だし。
「ねぇ、スマイルくん」
Jが病院のいろの顔でわらう(どうしよう、そんなことを考えていたものだからもうそれにしか見えない)。
「この包帯がほどけたら、また巻いて下さいね」
なんだか病室のひだまりのような、ひどくきれいで白く透きとおった儚い笑みだった。
「右手の包帯だから、僕には巻けないんです」
「…お前には父親も母親も妹もお手伝いもいるだろ」
「いえ、君がいい」
こいつがこんなことを言い出すなんて前にはなかったことで、ああやっぱりどこか病んでしまっているのだろうなと思う。その水晶によく似た笑みを見つづけるのが何故かつらくなって目をそらすと、そこだけやけに安くさいようなペン立てが机にあった。
高そうなシャープペンやら万年筆やらにまじって、おもちゃのような(あか錆びた)カッターナイフがつっ立っている。
「J、あれ」
俺が主語を抜かして問うとJは当たり前のようにそのカッターナイフをペン立てから取った。息をするように、まるで今から勉強を始めるためにそこから鉛筆を取った、というふうに何のてらいもなく自然に。Jの手の中でカッターの刃が往復して、きちちち、きちちちと啼く。きちきちきち。
「お前に似あわないよ」
「そうですか」
そう言うとすぐにごみくずを扱うようにぞんざいに机の上にぽんと放り投げる。カッターナイフは軽い音を立てて下に落ちた。きちちち、きちちち。軋んだ声で、啼く。指先の包帯が淡く朱に染まり始めていた。(かわいそうに)
ああ、こいつ、何かが足りてないんだ。それで俺に埋めてほしいと思っているんだ。俺に埋められるはずの何かがあろうはずもないのに。欠損を欠損で埋めても1を3で割るような不毛な結果しか出ない、のに。こいつの見ている俺は多分まぼろしだ。
Jが棚に引っかけて早くもゆるんでしまった包帯をきつく巻きなおしてやると、Jは「痛いですよ」と言って笑った。